祖父のために、祖父が戦争で生き別れた日本人の父(シンシアの曾祖父)を探すシンシア。その親族探しの過程を、シンシアのポートレートと福島県内の各市町村の戸籍係からの返信はがきなどで構成した作品。

2006年, 写真, 75×90cm C-print, 返信はがき(総数90枚), 写真, 手紙, テキストなど

For her grandfather, Cynthia was looking for the information about his Japanese father (Cyntia’s great-grandfather) who was repatriated to Japan because of WWII. I sent a letter to find his family register to ninety public offices in Fukushima prefecture.
Processe of this research is presented with Cynthia’s portrait, ninety return cards, old photos of Japanese family, etc.

2006, photo 75×90cm C-print, return cards, old photos, letters, text, etc

2003年夏、私がニューカレドニアで日系二世の聞き取りと写真撮影を調査していることを新聞で知ったシンシアは、滞在先のホテルに電話をしてきた。薬局に務める彼女は当時26歳で、祖父ジョルジュが自分の父親(日本人)の想い出を語りながら涙を流したことに衝撃を受け、なんとかその消息を見つけたいので助けてほしいと語った。高齢の二世から連絡をもらうことはよくあったが、若い女性から連絡をもらうことはめずらしいことだったので、私は彼女の親族探しに協力することにした。

その週末、私はシンシアの住むブーライユに出かけ、一緒にジョルジュを訪ねた。福島県から出稼ぎ移民としてやってきたジョルジュの父横山富治は、当時ニューカレドニアで有名な競馬の騎手だった。大きなレースで二度優勝したが、三度目のレースは太平洋戦争の勃発で中止になり、富治は敵性外国人として島から追放された。

私は日本に戻ると、戸籍の代理取得を許可するジョルジュからの委任状、ジョルジュと富治の血縁関係がわかる出生証明書、ニュ−カレドニア政府公文書館にある外国人登録証をそろえて翻訳し、外交資料館にある旅券下付表に記載されていた当時の本籍地を添えて、戸籍を問い合わせる手紙を福島県の90の市町村に送った。

まもなく福島市から戸籍が見つかったという返信葉書が届いた。電話すると、担当の方が富治の現在の近親者が誰かを丁寧に説明してくださった。早速私は、その住所をファックスでシンシアに送り、ここからは自分で手紙を書くように一筆添えた。彼女はすぐに自分の日本語の先生に助けてもらって、日本語で手紙を書いた。

それから二週間後、彼女の元に福島の親族から返事が届く。手紙の主は戦争で父親を失ったことを語り、同様に戦争によって父親と生き別れになったジョルジュへの深い思いやりを感じさせる文面だった。手紙には晩年の富治の写真、そして葬式と墓の写真が同封されていた。

手紙がニューカレドニアに届いた頃、ジョルジュはヌメアで入院していた。シンシアの母親で長女のジャクリーヌが福島からの便りを病床の富治に届けると、しばらく静かに眺めていたそうだ。そして「もし日本の親族が訪ねて来たら迎え入れるか?」と聞いたので、ジャクリーヌは「はい」と答えた。次の質問は「彼らに日本に訪ねてくるように言われたらどうするか?」だった。いろんな事情を想定しながら少し間を置いて「経済的に余裕があれば行きたいと思う」と答えたジャクリーヌに、ジョルジュは満足した表情を見せたという。その二週間後、ジョルジュは静かに息を引きとった。

シンシアは、いつか福島県の親族に会って直接話ができるように熱心に日本語の勉強を続けている。

2006年 津田睦美