三木さんに初めて出会ったのは、2006年2月、那覇にある琉球新報本社の役員室でした。当時副社長だった三木さんを、「この人は新報一の文化人だよ」、そう言って監査役の鳥取部さんが紹介してくれたのです。この時誰が三木さんが今のようにニューカレドニアに関わっていくことになると想像できたでしょう。
2006年夏、ニューカレドニアのチバウ文化センターで開催された私の展覧会に同行取材した三木さんは、現地で沖縄の移民二世の取材をはじめます。三木さんの取材に同席した私は、ある二世が父親の口癖を意味もわからぬまま丸覚えしていたのが、沖縄の方言だということを初めて知りました。また「玉城」や「宮城」という姓が、現在は「たまき、たましろ」や「みやぎ、みやしろ」と読まれているにもかかわらず、カレドニアでは「たまぐしく」「みやぐしく」と昔のままであることもわかりました。私がいかに沖縄のことを知らなかったのかを認識するとともに、故国の時間の流れに置き去りにされた不思議な時空間が存在していることにとても興味を持ちました。
三木さんは、2007年に「沖縄ニューカレドニア友好協会」を設立し、現在も日々精力的に活動されています。今年6月5日には、2011年に沖縄県が主催するウチナーンチュ大会にニューカレドニアの沖縄県系人100名が参加できるように、多くの音楽家や舞踏家の協力を得てチャリティコンサートを開きました。
私はかつて三木さんに聞いたことがあります。なぜニューカレドニアにそんなに魅かれたのですか?と。彼の答えは「西表(イリオモテ)の炭坑について長く調べてきた。ニューカレドニア移民は農業移民ではなく、ニッケル鉱山への出稼ぎ鉱夫だったからかもしれないなあ」というものでした。
引き続き、募金活動もされていますので、皆様よろしくお願い致します。三木さんの動向は今後もお報せしていきたいと思います。
振込先:沖縄銀行経塚支店 普通預金 1299066
口座名義:沖縄ニューカレドニア友好協会代表 三木 健(みき たけし)

名護の桜

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