6月26日、27日、日本移民学会が立命館大学で開催されました。大会実行委員会の諸先生方、お疲れ様でした。私は3年前から所属していますが、この移民学会、20年前にこの立命館大学末川会館で創設されたのだそうです。移民学会の会員は400名、いろんな分野の専門家で構成されています。そのなかには芸術大学に籍を置いておられる方が何人かおられるのですが、私のような芸術作品を制作することを専門とする者は珍しい存在です。
残念なことに、ニューカレドニア移民を専門とする研究者はいません。オセアニアまで範囲を広げても同様です。今迄に、石川友紀先生(琉球大学名誉教授)、大石太郎先生(関西学院大学准教授)らがニューカレドニア移民についての論文を書かれていますが、琉球大学の南洋研究の一環としてとりあげられたもので、他に最優先のご専門の地域を持っておられます。さらに仏語圏だということも研究者がいない原因になっているようです。
それでも私が学会に参加するのはもっぱら勉強のためです。社会学でも地理学でも文化人類学の専門でもないため馴染みにくいのですが、研究方法、着眼点など、他の方の研究発表を聞きながら自分の視点を確認することができるとても貴重な機会なのです。
日本はやはり「アメリカ」中心だと、ここでも痛感します。一方、ブラジルなど中南米については幅広い視点で研究がすすんでいます。それは、現地の日系社会が今も活発な活動をし、本国日本(およびそれぞれの郷里)と絆を保っていることが大きな一因となっているのでしょう。ニューカレドニアのように日系社会が消滅し、とりわけ日本語を継承しなかった国では考えられないパワーがそこには潜んでいるように思います。
ということで私はあいかわらず孤軍奮闘しています。専門家の方と張り合っても仕方ないのですが、それでも私はマイノリティであるニューカレドニア移民の体験をきちんとかたちにしたいと思うのです。
今後余力があれば、ニューカレドニアの日本人同様、オーストラリアに強制収容された、フィジー、グアダルーペ、タヒチ、ヴァヌアツ(当時はニューヘブリデス)、トンガなどにいた移民たちのことも調べたいと思っています。その数は少ないとはいえ、いろんな宗主国の地域で、仏語、英語、インドネシア語などを使う文化圏から集まった人々がどのように一緒に抑留生活をおくったのかはとても興味深いではありませんか。