8月6日猛暑の中、久しぶりに広島の平和記念式典に行ってきました。今年は英米仏から代表者が参列した特別な年になりましたが、「広島」はいつものように静かに世界中から集まった人を迎え入れているようでした。国連の藩基文事務総長が入場すると、市民から拍手があがったのが印象的でした。傷痍軍人となって戦地から戻った夫との関係を描いた映画「キャタピラー」に主演した女優の寺島しのぶさんも来ていて、取材陣に囲まれていました。
式典が政治的な色合いの強いセレモニーであるのに対して、前日5日に宗教団体(カトリックや浄土真宗)が交互に原爆供養塔で行った慰霊祭は、地元の人が参加する静かで心に沁み入るものでした。韓国人原爆犠牲者慰霊碑での慰霊祭も5日に行われています。今年は韓国出身の藩事務総長の参列もあり、韓国の人は格別な思いをしたことでしょう。
広島、長崎に投下された原爆は第二次世界大戦において最大威力、そしてもっとも無慈悲で無差別な残虐行為でした。しかし、「唯一の被爆国」、その言い回しに私はいつも首を傾けます。ちょうど日本が単一民族国家だと言っているような感じがするのです。
原爆製造を担ったロスアラモス研究所では、科学者がウランを素手で触って亡くなっていますし、広島、長崎に投下された原爆の核廃棄物で、多くのアメリカ市民が知らないうちに身体に異常をきたし苦しんできました。原爆投下が戦争を集結させたという国家正義の名の下に、彼らはその被害を声高に語ることができなかったのです。しかし、実際には核の被害はすでにアメリカで始まっていたのです。
冷戦時代、核保有国は自国の外、たとえば植民地や海外領土で核実験を行い、その地域の一般市民に被爆をさせています。こういった所謂弱い立場の国の人たちから見れば、日本が被爆国であることを大々的に語ることができる力を持っていることがどんなに羨ましいことでしょう。たとえば、この時期に平和記念公園を歩いていると、いろんな小国の被爆被害について説明したチラシを受け取ります。それを読むたび、被害の大小にかかわらず、核の被害者の声を聞き、その現状を認識し共有しながら核兵器廃絶を実現させないといけないと思うのです。

さて、話は変わりますが、8月13日から31日までカレドニアに出かけます。かれこれ10回目になります。行っても行ってもやり残したことがあるので通っているのです。
今回の目的は、新作制作のための撮影(詳細はまだ内緒)、1935年頃のヌメア市中心部の日本人分布図の作成、ヌメア市4km墓地の調査、ヴァヌアツの日本人移民の調査です。いつもどおり、二世からの聞き取りも行います。
ニューカレドニア移民達の被った戦争被害、核の被害とは異質ですが、こういったほとんど知られていない少数派の経験を聞き取り、拾い上げていくことが私には当面の大切な課題なのです。

式典で供えられる花輪