ブラジル在住日本人松井太郎氏の小説「うつろ舟」(松らい社)をR大学のN先生から謹呈いただいた。嬉しくて、どきどきしながらページをめくるのを勿体ぶって数日過ごした。やっと通勤電車のなかで読み始めると、おもしろくて仕方がない。それは私が想像していた具体的な移民体験記のようなものとは異なる、まったくの小説だった。
帯には「言語的孤立のなかで日本語で書き続けた孤高の作家」「日本人が『日本人』でなくなる臨界点を描いた」とある。ブラジルの奥地に暮らしていれば、自分が日本から隔離されていくことに不可抗力であったろう。廻りに現地人との間にできた混血二世がいれば、身体的、言語的に日本人でなくなっていく現実を目の当たりにしつつ、それを受入れていかざるを得ないことを感じただろう。なんという複雑な切なさ、心に沁み入ってくる。
この本のことを親戚にブラジル移民がいる友人に話すと、アメリカ移民ジョン・オカダが書いた「ノーノーボーイ」のことを教えてくれた。早速ネットで購入したが、これはまだ眺めている状況だ。
ふたつの移民文学を前に、私は戦後カナダ友好協会を発足させた故中山吾一氏のことを思い出した。80年代学生だった私は、母が仕事で駐在していたバンクーバーに遊びに行ったことがある。その時、一緒に中山氏の家に何度かお邪魔したことがあった。あの頃は移民のことなどなんにも知らなかったし、彼の娘である「おばさん」の作者ジョイ・コガワのこともまったく知らなかった。今となってはどんな話を聞かせていただいたのかすっかり忘れてしまったが、中山氏のいた空気感のようなものだけはよく覚えている。
母に当時のことを尋ねたら、カナダ人の友人がバンクーバーに来たら最初に会うべき人だと言って、中山氏の家に連れて行ってくれたとのこと。中山氏は自分の娘ほどの年齢の母をいつも歓迎し、ご自身の辛酸な体験をよく話しておられたそうだ。そして、「もうすぐ日本に招待してもらうんだ」と彼の聞き取りに日本から通っていた某氏との口約束が実現するのを心待ちにしていたらしい。しかし、その夢が叶わぬまま亡くなってしまったと、母は寂しそうに言った。
家には中山氏からいただいた著作が何冊かあるらしい。今度ゆっくり読んでみようと思う。