初めてウチナーンチュ大会に参加した。
私が沖縄入りした10月9日の那覇空港はまだまだ静かだったが、その後次々と世界中からウチナーンチュが集まってきた。私は沖縄中がウチナーンチュ一色になるのだと想像していたが、案外そうでもなかった。だから、カレドニアからの参加者と同じところに泊まった方がいいよ、という三木さんのアドバイスを聞いてよかったと思う。そのおかげで、ホテルに頻繁に取材にくる記者や、尋ねてくる親族にも会うことができ、大会の周辺で起こっていることが随時伝わってきた。
今回NCから参加したのは、沖縄出身者の末裔が多い北部州の人が中心だ。NC沖縄日系人会のオブリー新会長もポワンディミエ在住である。首都ヌメアからの参加者は、2007年に私の沖縄での展覧会にあわせて来日したときに比べてずいぶんと減った。もともとカレドニアは、北部がメラネシア社会、ヌメアは白人社会と大きく分けられる島で、双方が今迄にさんざん争ってきた血なまぐさい歴史をもつ。さらに経済格差や言葉や文化の違いといった要因もくわわって、ちょうど「沖縄」と「本土」の関係のような微妙で複雑なずれがあるのだ。だから今回も彼らが掲げる「国旗」が決まらない。独立派のカナキー国旗と宗主国フランスの旗が混在するのが島の現実なのだ。
そして私は、ここ数年の間にカレドニアと日本がより頻繁に交流をかさねるうちに、カレドニアの日系人は「本土」と「沖縄」の差異を意識し、理解するようになってきたと感じる。
12日、前夜祭のパレードが国際通りであった。あいにく小雨だった。順番は、わずか数名のフランスの次である。関係者が交じって60人ちかくにふくれあがった「チーム・カレドニア」のデビューは素晴らしかった。明るく踊り、笑顔が耐えない。沿道の人は「カレドニア?どこにあるの?」「フランス語?」と興味津々。
翌朝の沖縄タイムスの一面はカレドニアだった。両手を広げたマリジョーが女神のように皆を導いている。
ブラボー!皆で大喜びだ。