10月14日は、各地(たとえば、那覇市、沖縄市、糸満市など)でそこの出身者である移民たちを歓迎する会がある。なにしろすべて一斉に行われるので、すべてに参加したいのに一カ所しか行けない。ということで、私は一番ゆかりのある名護に向かった。
名護は、拙著『マブイの往来』の舞台となった場所で、世話になった方が最も多い。特に、故比嘉伝三というひとりの移民のライフストーリーを描いたこの本を書くにあたって、親族の方々にさんざん聞き取りをした。この人達の協力と寛容な心なしに、私の仕事は成立しないと言っても過言ではない。そのかわり、今や私はカレドニアと沖縄の親族間の連絡係で、元気にしてますよ、とか、よろしく言ってましたよ、なんてことを双方に伝える役目を負っている。
さて、歓迎会ではまず、久しぶりにYさん一家に声をかけた。しばらく病気だったYさんはもうすっかり元気な様子で、奥様ともども、以前のようにとてもおしゃれだった。今回セシル(比嘉伝三の三女でYさんの親族)は来ていないのですね、と残念そうにおっしゃった。たしかにカレドニアの家族で沖縄のルーツに興味があるのは、セシルだけ。それに彼女はすでに2回沖縄に来ている。是非、来年夏にカレドニアで開催される移民120年祭に出かけ、セシルを訪ねてください、と言うと、そうしたい、とおっしゃった。
次に、数人の人に囲まれていた元市長のHさん(セシルの従兄弟)に声をかけると、私のことをニューカレドニアの研究者だと言って、廻りの人に紹介してくださった。その中のひとりに、アメリカの西海岸から参加されているHさんの従姉妹(つまり、セシルの従姉妹)がいた。彼女は子供の頃、いつもカレドニアに行った伝三おじさんのことを聞いていたので、カレドニアに従姉妹がいるのなら行ってみたいとおっしゃった。さすが移民の多い沖縄だ。H家もまた世界中に拡散している。いつかこの方の話をゆっくりお聞きしたいと思う。
一方、ニューカレドニアの元公文書館長からは、セシルの母方の新しい情報が見つかったと連絡があった。まとめたら送ってくれるというから、とても楽しみだ。
話はかわるが、沖縄でお目にかかった政治学がご専門のG先生は、私の仕事に対して、石を積むようにこのまま頑張って聞き取りを続けなさい、とおっしゃった。自分のやっていることがどこに向かっているのか時々わからなくなる私にとって、こういう先人の暖かい励ましはなによりの宝だ。さらにG先生は、アメリカにある資料のことも教えてくださった。移民の物語は、ヴァリエーションを広げてさらに豊かになっていく。どうやら私は、また新たな旅をする理由が見つかったようだ。