ティオは、かつてニッケル鉱山開発の世界的な拠点でした。1892年以降、日本人の多くがここで、ボルネ、プラトーといった鉱山に配置され、働いていました。
ティオの市民墓地の一角(全体の四分の一弱)に、日本人墓地があります。現在数えることができる墓石は65基ですが、実はここに300名近い日本人が眠っていると、近くにある鉱山博物館のフェルス氏から、ずっと聞かされていましたが、それがほんとうなのかは誰も知りませんでした。
今年は移民120年祭ですので、思い切って、1892年から1941年迄のティオにおける死亡証明書をもとに、死没者名簿をつくることにしました。公文書館には1938年迄の死亡報告書しかないため、それ以降のものは政府の許可をもらって閲覧できるように現在申請しているところです。
現時点で、223名のリストを作成しました。仏語で書かれた名前(間違ったままのスペルで)と、移民名簿(旅券下付表)に日本語で書かれた名前(毛筆のため読みにくい!)、その両方を明記することで完成させようとしています。こうしておけば、未来において、自分の先祖や親族を見つけたいと思う人にとって普遍的な情報になります。
東京の外交史料館で、外務省が作成した在外死亡者のリストをみつけたので、これは楽ができると思い喜んで複写をして家に持ち帰りました。ニューカレドニア移民のリストは、シドニー総領事館の報告書に出てきましたが、その当て字にびっくり。漢字がこうもいい加減では、ひとりの人物を限定できません。外務省の仕事とはいい加減なものです。けっきょく、移民名簿をひっくりかえしながら、漢字を当てはめる
作業をこつこつと続けています。
このリストは、ティオに設置される慰霊碑に刻み込まれる予定です。(つづく)

手前の古い墓石が日本人鉱夫のもの