8月はTVを観るので忙しい。終戦、原爆、占領、いろんなテーマで良質なドキュメンタリーが続くからだ。きょうは、1948年にハワイの沖縄移民たちが募金を集め、約一ヶ月かけて沖縄に届けた「チェスターホワイト」という脂肪の多い(当時、沖縄の人は食料油を渇望していた)品種の豚の話。
その歴史を辿るのは、沖縄石垣島出身の3人組音楽家ビギンで、最後はハワイで「音返し」コンサートをするという密着ドキュメンタリーである。私はもちろん、戦後ハワイから豚が届いたことは知っていたが、いろんな資料と証言を交えてまとめられたこの番組はとてもわかりやすく、重苦しくない、しかも音と言葉の暖かみにあふれた内容だった。
そして、豚とともに戦後の沖縄が復興していったその過程を知る人がまだまだ健在していることに、決してこの話は遠い昔のことではないと思った。たった3年で10万匹にまで増えたという豚、繁殖に尽力した人々、その背景にはアメリカ統治時代と、本土復帰という大きな時代のうねりがある。
番組半ば、ビギンは養豚をしていたある民家で、豚料理のフルコースをよばれる。解体された豚の全部分が丁寧に料理されていく様を見て、沖縄の人にとって豚がいかに大切な家畜であるかがよくわかった。ビギンは、食事をしながら、豚の「こえ以外は食べない」ことを実感していた。
しかし、一方で、豚は本土の人からウチナーンチュが差別されるひとつの要因になった。人の糞尿を与えながら豚を飼うことなどが理由である。(ニューカレドニアでは豚に古くなったココヤシを与えていた)
TVに映ったハワイの沖縄移民は、ビギンのコンサートの終盤で、ごく自然に全員が踊り出していた。その姿は、どこにいても変わらないウチナーンチュのいつもの姿だった。

コカンゴン(ニューカレドニア)でレイモンが飼っているブタ