編者、執筆者のほとんどが女性という『日本とオーストラリアの太平洋戦争ー記憶の国境線を問う』(鎌田真弓編、御茶の水書房)という本を、共著者である田村さんと永田さんからいただいた。おふたりともオーストラリアで研究活動されているこの分野の第一人者だ。
日本人がオーストラリアのことをいかに知らないか、それをあらためて再認識し、私がキャンベラに在外研修員として滞在する2009年より前にこの本が出版されていたらどんなによかったろう、、、そう思ってしまう充実した内容である。それにキャンベラに5ヶ月滞在したときに初めて強く意識した「アジア・太平洋」という枠組みのことを、すっかり忘れていたことを思い出した。
さて、本著のタイトルが示唆するように、「太平洋戦争」について日本とオーストラリアでは思い浮かべる史実が大きく異なる。なにより、日本がオーストラリアを攻撃したことなど我々はほとんど知らないのに反して、オーストラリアでは日本軍にダーウィンやシドニーが攻撃されたことは忘れがたいトラウマになっている。なぜなら、オーストラリア本土を攻撃したのは、後にも先にも日本だけだったからだ。
日本では、太平洋戦争イコール対米戦と捉えがちで、ダーウィン空襲と潜水艦によるシドニー攻撃など、あまりにも激しい戦闘をあちこちでくりかえした日本にとっては(語弊があるようだが)微々たることだった。
ダーウィン空襲は、現在ダーウィン市内のあちこちに観光局が設置したパネルで紹介されている。攻撃対象になったことが、観光資源になりつつある。ニコル=キッドマン主演の映画『オーストラリア』でも、ダーウィン空襲が「オーストラリアの真珠湾攻撃」として、ドラマティックに演出されていた。
戦争とは負の記憶なのだが、オーストラリアは第一次世界大戦と第二次世界大戦に参戦したことで国際社会にデビューし、その地位を先進国の中に定着していく。そのため、豪兵や豪市民の犠牲は、国家としての成立に不可欠だったこととして美化されてきた。それを贅沢に視覚化したのがナショナリズムの殿堂「オーストラリア戦争記念館」だろう。本著でも、鎌田さんが「オーストラリアの靖国神社」と指摘しているが、まったく同感である。
それにしても、もし戦争記念館のような自国の戦争史を紹介する仕方で、日本が体験したすべての戦場や戦闘を展示物として用意するとなれば、いったいどれほどの規模の博物館が必要になるだろうか。もちろん、日本が国をあげて戦争に注いだ時代のことは、もっときちんと国民全員が把握しなければならない。日本こそ、自分たちの体験を正確に中立に紹介する戦争博物館をつくるべきではないのだろうか。世界中で今だに悪役を買っていること、それを自ら自省し、見直すべきではにだろうか。
さらに今も残るオーストラリア人の反日感情は、中国や韓国とは異なりきわめて寡黙ではあるが、自国の兵士が戦争捕虜として日本軍から受けた過酷な処遇に起因している。
この本を読みながら、在外研修時代に感じたいろんなことが脳裏に浮かんだ。そう、やらなくてはいけないことが、まだまだあったのだ。