ヌメアで多くのアポをこなした後、西河岸を北上し、古い墓地を訪ねた。ただ距離があるだけでなく、墓地のある場所に入るためにはクチュウムをして、案内してもらわないと辿り着かない。この墓地のことは、ル・ニッケル社のH氏から聞き、ずっと気になっていた。
土地の所有者との待ち合わせがうまくいかず、ずいぶん時間のロスもあったが、念願の墓地を訪ねることができた。おそらく8~9が日本人の墓標である。どういうわけか、沖縄の高良亀さんのがふたつあった。それが何を意味するのかは不明だ。
同行したK氏がいうには、きちんと水平垂直に墓が並んでいるので、正式な墓地として作られたものだろうとのこと。とりあえず、埋葬されている人の名前を書きとめ、それを土地の所有者に送る約束をした。墓を歴史的文化財として公に保存していくためには、土地の所有者が申請する必要がある。その書類を元に、州政府が検査し、認められると管理費が提供される。この墓は、現地の人がボランティアでなんとか管理しているのだが、羊の放牧によって日に日に状態がわるくなっている。
翌日、いつものように、慌ただしく空港に着いた。これからシドニーである。いざ搭乗手続きをしようと思ったら、オーストラリアへの短期観光VISAをとるのをすっかり忘れていた。さすがに焦ったが、エアカランのカウンターですぐにとってくれた。
東京からヌメアに来られていた言語学者のO先生にばったり出会い、少しおしゃべりした。彼女は空港行きのバスが来なかったそうだ。この島では日本のようになんでもきっちりしているわけではない。でもみんな気が長いので。案外解決策は見つかる。

ファントッシュ鉱山に残る墓地