シドニーでアポをふたつこなし、カウラに移動、翌朝カウラ市とのミーティングの後、6時間運転してヘイに到着した。カウラを出るのが15時になってしまったので、すっかり遅くなり、その日は寝るだけになってしまった。ヘイは、オーストラリアで48度という最高気温の記録をうちたてたそうだ。ほんとうにフラットな所で、私がヘイに3泊すると言ったら、皆目が点になる。でも、私はヘイが好きだ。美味しいレストランやカフェがあるし、地元で収容所の歴史に詳しいデイヴィッドと話をしたり一緒に探索をするのが楽しくてしかたない。3年ぶりに会うデイヴィッドは4人目の孫ができたところだそうだ。
翌朝、まずひとりでNo.6キャンプ跡と、墓地に出かけた。墓地のそばの川沿いにある空き地で、朝日新聞に掲載された墓石を見つけたのはもうずいぶん前のことだが、まだあると思って行ったら、タンクがころがっているだけですべて無くなっていた。あたりをぐるぐる廻っても、なにも見つからない。
デイヴィッドとランチをしながらそのことを話すと、あちこちに電話して心当たりがないか聞いてくれが、誰も知らない。「ミステリー・イン・ヘイ」そう言いながら、あらためてふたりで見に行ったがやはりなかった。デイヴィッドは、このあたりは洪水ですっかり水に浸かったら、流されてしまったのかもしれないという。帰り道、デイヴィッドの友人で墓石を庭の飾りにしている人がいるので、寄ってみた。家主は留守だったが、すぐ川沿いにあったはずの墓石が見つかった。それはふたつに割れた墓石で、よく見ると墓石の上と下が別々の人のものだ。他には見当たらないので、きっと別の人が同じようにそれぞれ持っていってしまったのだとふたりで想像しながら納得した。
夜中から降り続いた大雨がようやくやんだ頃、アルブリーからデイヴィッドに会いにきたS博士と3人でランチをした。すぐに意気投合し、3人でNo.7、No.8、No.6キャンプの跡地を一緒に廻り、いつもと異なる視点でキャンプを見ることができ、とても楽しかった。S博士は日本人が抑留されていたNo.6キャンプの跡地をGPSを使って考古学的に調査したいと言ったので、私はとても嬉しくなった。夜は一緒にデイヴィッドの家で奥さんのコリーンの手料理をいただいた。食後、デイヴィッドは、子供の頃教会でオルガンを弾いていたという腕前を披露してくれた。

かつて墓石の上にのっていたタンク