春の陽気につつまれた土曜日、ゲーテ・インスティチュート(ドイツの文化センター)に出かけた。滞在アーティストの映画上映会に参加した後、写真家ザッシャさんの作品を見せてもらい、さらに「Tohoku」という写真集を出したばかりの写真家シンクさんのトークを聞き、アーティストのパワーをたくさんもらって至福の心持ちで、桜はちらほら咲く賀茂川べりを気分よく歩きながら帰路についた。それで石野さんの連載コラムが掲載される産經新聞のことをすっかり買い忘れてしまった。
帰宅後、近所のコンビニに電話して取り置きしてもらった新聞を日曜日の朝もらいに行った。やはり自分のことが書かれている新聞は早く見ておきたい。
石野さんは、拙著「マブイの往来」について丁寧に紹介してくださっていた(石野さん、ありがとうございます)。4回にわたるニューカレドニアの話はこれで終わりのようである。
*前の3回が気になる方は産經新聞のHPでご覧ください。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/topics/west_life-16389-t1.htm
コラムを読み終え、なんのためにせっせと自腹を切って私はあの島に通っているのかをあらためて考えてみた。確かに最初は知られざる歴史をきちんと当事者に伝えたいということがすべてのモチベーションの源であった。でも、今では彼らになにか提供するというよりは、彼らと一緒になにかを探し、その価値を見いだす、そいう作業が増えてきたように思う。変わったのは私よりむしろ彼らで、自分たちのルーツもわかり、日本にも行き、もはや解き放たれたように見える。つまり、集団で助け合いながら失った記憶を追い求めていた人たちが、自分の家族の情報を手に入れたことで、再び個々の世界に戻っていったというかんじなのだ。そのせいか、日系三世がひっぱるアミカル(日系人協会)は完全にパワーダウンである。さらに二世はますます高齢化、多くが記憶を失いつつある。
日本国名誉領事のマリジョーがアミカル会長時代から、突っ走って来たこの10年の間に、私が知るだけでも、在シドニー日本国総領事(2006)、駐仏日本大使館の参事官(2012)、駐仏日本国大使(2012)、東京からは安倍政権にかわってすぐに城内外務副大臣が島に足を運んだ。名誉領事として、ひとりでこれだけの人たちを島に迎える手はずを整えてきたのである。おかげで、ニューカレドニアと日本は、政治的、経済的にますます重要な相互関係を持つようになってきているのではないだろうか。
最近、「ヌメアに領事館」、そんな噂も聞こえてきた。実現するかはわからないが、この20年間にふたつの国の交流を身を粉にして支えてきた名誉領事の献身に対して、日本が国として本格的な一歩を踏み出し、その労をねぎらう時がきたのだったらこの上ないことである。

産経新聞2013年3月23日 関西版 ©Sankei shimbun