2013年9月19日、ヌメア市内に第二次世界大戦博物館(Musée de la Seconde Guerre mondiale)が開館する。9月19日は、ニューカレドニアがドゴール率いる自由フランス支持を表明した日、その73周年にあたる。博物館の建物は米軍が残して行ったコンセットが改装されたもので、1942年から1946年にかけて米軍が対日戦の拠点としてニューカレドニアに駐留した時代を紹介することに焦点をあてている。その期間に駐在した米兵は100万人にのぼると言われている。現在でもニューカレドニアの人口は23万人、それがいかに多い人数であったかは明白だ。
ニューカレドニアは長年にわたり他国に振り回されてきた歴史をもつ。イギリス人ジェームズ・クックが発見し、フランスのナポレオン3世が流刑植民地として統治する。第一次世界大戦で疲弊した宗主国フランスが遠い植民地統治に力を注ぐ余裕がなくなると、お隣のオーストラリアが影響力をどんどん持つようになる。
そして、日本が中国に侵略し、太平洋諸島で戦争をくりひろげるなか、ニューカレドニアの人たちは日本軍が自分たちの島に攻めてくるのではないかと怯えるようになった。日本人=スパイという極端な図式を描くようになり、徐々に反日感情が強まっていく。
1941年12月、日本がマレー半島と真珠湾を攻撃したことによって第二次世界大戦が勃発する。参戦したアメリカは、1942年3月、18000人の兵をヌメアに上陸させ、ニューカレドニアに飛行場をつくり、道路や橋をつくり、島中にコンセット(カマボコ型の簡易建物)を建て、軍事拠点(島全体が対日戦のための空母と呼ばれた)をつくりあげていく。軍の訓練地となり、近隣の島で負傷した連合軍の兵士を受け入れる病院も建てられた。
戦争が終わり米軍が去った後、残ったコンセットは安く払い下げられ病院や学校になった。いつのまにかコカコーラやファンタは島の食生活にすっかり馴染んでいた。農業、商業面もふくめ、その目覚ましい変化は島の近代化を促進したものとして今も好意的に見られている。それだけに、今も当時を懐かしむ親米家たちが大勢いる。
なかでもその筆頭が元高校教師、ポール・パチュレル氏で、彼は私財を投げ打って、戦車、飛行機、軍服など、米軍軍事関係品を購入した。数年前、政府は彼のコレクションを買い上げ、それをもとに構想が練られたのがこの博物館である。
開戦直後、島の日本人はどうしていたのか。彼らは敵性外国人として一斉に逮捕されオーストラリアの強制収容所に移送された。そのとき没収された彼らの財産は仏政府の管理下におかれ、多くの政治家や地方の権力者がそれを搾取した。戦後、その財産の返還を期待していた日本人は、1951年のサンフランシスコ平和条約締結でその望みを打ち砕かれた。日本政府は、世界中で暮らしていた日本人移民が人生をかけて蓄えた苦労の結晶を返還要求することを放棄したのだ。
ヴェロニク・ドゥフランス(ヌメア市立博物館館長)が中心となった新しい博物館の構想は、この時代の光と影の部分がみえるように工夫されているはずだ。太平洋戦争に巻き込まれたニューカレドニアの立ち位置がどう表現されるのか、今からとても楽しみである。
この博物館は日本と縁が深い。日本からもマスコミ各社に取材に是非行っていただき、あの戦争を振り返ってほしいと思う。
次回は(いつになるかわからないが)、クレイジーコレクター、ポール・パチュレル氏のことを紹介したい。

ニューカレドニア南部州のWebより