10月11日(金)、日文研での講演会が無事終了した。500名も入る知の殿堂のようなところでの初舞台は、私には大役であった(実際の入場者は300名くらい)。後でわかったのは、機構長や理事が来ておられるということで、この講演会が成功するか否かが次年度の予算配分にも若干関係するのでは?と心配げに集まっていた関係者がけっこういたことだ。
今回のように画像を主役に移民を考えるというのは珍しいと思っていたが、やはり初めての試みで、なかなか発表者が見つからなかったそうだ。私が適役であったかは別として、研究者が研究資料としての「画像」をどう捉えていくかを検証しようとする試みが、視覚芸術にたずさわる者には素直に嬉しかった。写真の復権という感じだろうか。
会場のスクリーンは専門のスタッフのおかげで最高のコンディションで、しかも画像を大きく(5〜6m幅くらい?)投影でき、時間をかけて用意したkeynoteでの発表は見応えがあった。写真を大きくするには写真そのもののクオリティが要求されるが、それさえあれば本当に見栄えよく、画像の持つ情報量の豊かさが明解に伝わってくる。
発表は、3組、それぞれ40分と長丁場であった。画像資料の捉え方はそれぞれの専門性の違いほど異なったが、それゆえ共同研究すればとても面白くなるだろうと思う。
講演会終了後、日文研の研究者の方々といろいろお話しできたのはとても有意義であった。今迄縁がなかったので日文研が何をしているところなのかよく知らなかったが、それはもちろん自分の勉強不足であり、今回研究者の方と直接お話しすることで「宝箱」のようなところだということがわかった。彼らの視野は広く、それでいてたいへんマニアックであることがわかり、すっかり親近感すら覚えるようになった。
この日、来場されていたジャーナリスト、他大学の研究者の方にも知り合え、今年最後の夏日を有意義に終えることができた。
声をかけてくださった細川先生、お世話になった皆様、ありがとうございました。