オーストラリアから帰国した。今回はダーウィンに行ったあと、ずっと行きたかった木曜島まで足をのばした。オーストラリアとニューギニアに間にあるトレス海峡にある小さな島で、かつて日本人ダイバーは真珠貝を採るダイバーとして活躍したところだ。遠い遠いと思っていたが、ケアンズからホーンアイランドに飛べば、そこからバス+フェリーで簡単に渡れた。
この島の名前は、ジェームズ・クックの航海長として名をあげたウィリアム・ブライが、のちに船長として乗り込んだ「戦艦バウンティ号の反乱」によって船から追放され漂流していたときに名付けたといわれる。近くには火曜島、水曜島、金曜島があり、見つけた順々に、見つけた日の曜日をとって島の名前にしたそうだ。つまり木曜日に見つけたからThursday Islandという名前になったわけだ。現地では、島は頭文字をとって「TI」と呼ばれている。一方、先住民が呼ぶもともとの名前「Waiben(水のない島)」である。
まずは出発前に読んだふたつの小説について。
司馬遼太郎の短編小説『木曜島の夜会』(1977年 文春文庫)についての話になると、きまって島の人の表情が変わる。あれは真実ではない、そういう話が出てくる。(とはいえ、日本語で書かれたあの本を、いったい何人が実際に読んだかは不明である)
徹底的な調査の上に小説を書くことで知られている司馬遼太郎であるが、彼は小説家であり、歴史のなかにフィクションが加わるのは仕方ない。たとえば、坂本龍馬は司馬遼太郎の小説の主人公になったことで、国民的ヒーローになった。
しかし、主人公が幕末の坂本龍馬と、存命な、あるいはつい最近まで島に暮らしていたダイバーでは、小説が出版されたときの廻りの人の反応が違うのは当然のことだろう。影響力のある司馬によって、ほとんど知られていなかった「木曜島」に対する日本からの見方が決まってしまったといっても過言ではないのではないか。
出発前にもう一冊読んだのは、和歌山出身の作家、庄野英二の小説「木曜島 長編小説」(1972年 理論社)だ。出版社に勤める親しい友人が教えてくれた。私はこの小説を一気に読み、まるで自分自身があの時代のアラフラ海上をいく船に乗り、空と海だけの世界にいる気分に浸った。
庄野は、和歌山で元ダイバーや、木曜島からの引揚者と親しかった人から聞いた話をもとに書いたという。主人公は(実名かどうかはわからないが)、ある若い和歌山出身の男性で、親戚の呼び寄せで木曜島に渡り、船の炊事係として働く。彼が自分のボスであるダイバーや、島を移動しながら出会ういろんな人から学ぶこと、自然や動物のこと、どれもリアリティがある。最後は第二次世界大戦が始まって、陸にあがるところで終わる。
戦前の木曜島の日本人については、クイーンズランド大学名誉教授の永田由利子さんが「The Japanese in Torres Strait」(『Navigating Boundaries, The Asian Diaspora in Torres Strait』2004年, Pandanus Booksに所収)という論文を書いている。70年代から聞き取りをしている彼女にしか書けない、生の声と文献調査のバランスがとれたものだ。
それによると、ジャプタウンのなかのヨコハマと呼ばれる町のひと区画が鉄条網で囲まれ、そこの中に日本人全員が集められた。その後、ケアンズ、シドニーを経由して何カ所かの収容所に送られていく。海図に詳しいダイバーたちは、みんな揃って戦争捕虜の扱いを受け、 NSW州にあるヘイ収容所に送られた。
他に、奈良女子大学名誉教授(地理学)の松本博之先生にも出発前にお目にかかりお話を聞くことができた。松本先生はトレス海峡のオーソリティだ。地図をもらっていろんなことを教えていただいた。おかげで行く前にすっかり町の地図が頭に入った。(つづく)

木曜島の埠頭にある小屋