立命館大学で開催された「世界文学・語圏横断ネットワーク」第一回研究会に参加した。ニューカレドニアで父親が日本人でありながら、日本語がちっともわからない日系二世に出会ってから、「言語」は常に気になるテーマとなった。今回は仏語圏についての発表はなく、ほとんどが読んだことのない本、聞いたことのない作家についての発表であったが、それでもとても興味深い内容だった。
なかでも、フランス?スペイン?からの研究者が発表した「関口涼子の詩における『自己翻訳』をめぐって」は、二カ国語で創作する詩人についての考察で、しかも関口涼子というのは聞き覚えのある名前だと思ったら、そう、ニューカレドニアで開催されたサロン・ド・リーヴルに招聘された人だったのだ。
今回初めて彼女の仕事を知ることができほんとうに良かった。美術史を学んだベースがあり、マラルメの影響を受けている?本づくり、朗読会の手法に驚き、深く共感した。彼女なら間違いなくニューカレドニアで日本語を失った日系社会のことを敏感に感じ取って創作につなげるだろう。その詩作の視覚化や、音としての言葉のとらえかたは、現代アートの文脈のなかですでにフランスではとらえられていることだろう。いろいろ思いながら、たった30分ばかりの発表から私自身の創作にいろんな刺激をもらえた。

それはさておき、あれはもう1年前のこと。毎年ニューカレドニア北部のポワンディミエで開催されるサロン・ド・リーヴル、2013年は日本が招待国であった。それで、日本から平野啓一郎さん、パリから関口涼子さん、漫画家のJP 西さんが招待された。
日本国名誉領事のマリジョーは、サプライズで彼らの自由時間に「沖縄の家」があるネヴァオ村に案内した。ネヴァオ村は、ポワンディミエから車で30分くらいのチャンバ川のそばにある小さな村で、住民全員が沖縄系の日系人である。
当日、日本の著名作家たちを迎えるために、地域の日系人が集まった。そのときのことを平野さんがTwitterで書いておられるのでちょっと拝借。

8月9日
20世紀初頭、ニューカレドニアには多くの日本人移民がいた。主に沖縄から。第二次大戦時には夫の収容所移送などによって家族が離れ離れになる悲劇。その子孫たちがポワンディミエに作っているコミュニティを訪問。話の一つ一つに強く心を動かされた。

8月13日
ニューカレドニアの日系移民については『マブイの往来』(津田睦美著)に詳しい。1905年の「琉球新報」の移民募集広告には「仕事 ニッケル採鉱 労働過激ナラズ鋤ヲ以テ山腹ヨリ鉱石ヲ堀リ出ス仕事ナレバ畑ニテ農業ノ土掘リヲナスト大差ナシ」とある。後の彼らの運命を思うとやるせない。

8月13日
みんな楽しそうに歌ってた。招待されたのは集会場のような場所で、彼らがそれぞれの自宅でどういう生活をしているのかは謎。「記念写真、撮ろう!」といって構えてるのがサムソンのスマホだったり。

8月13日
ニューカレドニア滞在最終日には、ポワンディミエのとある部族を訪ねて昼食をご馳走になる。写真は鹿のBBQ。美味。その他、生まれて初めてコウモリを食べた。なんかのジビエに似てるなと思いつつ、あんまりバクバクは食べられず。貴重なものらしい。

8月22日
帰国。色んな意味で非常に濃厚なニューカレドニア滞在だったけど、それはまあ、追い追い。成田で飛行機を降りると、熱帯の国に来たような蒸し暑さ。

私も初めてネヴァオ村を訪れたとき、言葉ではうまく説明できない感情が吹き出し、号泣した。だから平野さんの言葉の行間にふくまれたなんとも言えない感覚がよくわかる。
日系人の歓迎に感激したJP西さんが即興で、マルセル(沖縄系二世、90歳)の似顔絵を描いたそうだ。できあがって「どうぞ」と手渡すと、マルセルが「見えないんです」と答えたという。その返答にマリジョーはじめ周辺の人も言葉を失ったそうだ。10年以上彼女の経営する宿の常連客である私も、彼女が見えていないことを知らなかった。マルセルはいつも早朝から新聞を読んでいたけれど、実はそれも見えていなかったのだろうか、それとも最近見えなくなったのだろうか。
平野さんと西さんが先に帰国し、ひとり残った関口さんをマリジョーは自宅に招き、近くに住む彼女の母親の家に連れていった。そこで関口さんは仏語での会話のなかで、「コノシロ」という魚の名前を耳にする。
大東文化大学の中村隆之さんのブログによると、このときのことは関口さんが『現代詩手帖』で連載されていた、岡井隆と関口涼子の共同詩「注解するもの、翻訳するもの」のなかで書いておられるそうだ。
関口さんがパリに戻ってから、マリジョーは「コノシロ」がどんな魚かすぐに私に問い合わせてきた。調べてみると、出世魚で、寿司ネタで有名なコハダのことだった。
メメ(マリジョーの母親のこと、仏語でおばあちゃんという意味)が、おそらくこの時想い出した「コノシロ」は、単に「魚の名前」だというわけではない。「コノシロ」はメメが父親と暮らしていた幸せな子供時代そのものを象徴しているのだ。「コノシロ」は、「ジゴロ」「ニワトリ」「君が代」と同じで、メメの戦争前の記憶を集約している。片言の、とても日常的な日本語を覚えているメメは、日本語という言語をまったく受け継がなかった自分の子供たちと、この時代の思い出を共有することができない。
きょうの研究会に行かなければ、関口さんのことを想い出すこともなかっただろう。
最近では「次にむつみが来るときには私はもうこの世にいないよ」というのが口癖になったメメ。なんだか無償に会いたくなった。

コノシロ