すっかり時間がたってしまいました。最近はFacebookがお手軽なため、そこで数行書いて終わりにしてしまうことが多いのですが、やはりもう少しきちんと7月のあの日のこと、マリジョーが父方の親族に会ったときの報告したいと思います。

仕事の後、私は京都から新大阪を経て新幹線で熊本に到着しました。駅前のホテルに泊まり、翌朝八代市に移動し、マリジョーの母親の幼なじみのMさん一家、マリジョー夫妻と合流し、彼女の母方の親族の方にお目にかかり、一緒にお墓参りをしました。
皆と別れ、私はそこから単身熊本空港に移動し、空港でレンタカーを借りて菊池のTさんの家に向かいました。通訳をしないといけないので、名前とかどういう間柄の親族なのかなど、基本的な情報だけは事前にすりあわせをしておきたかったのです。
この小さな集落には実は10年前に一度来たことがあります。そのときはTさんに巡り会えなかったのですが、とても風光明媚なところだったという印象がありました。しかし、今回はまったく異なる印象を受けました。天候の違い、前回は快晴でしたが、今回は曇っていて山が見えなかったからでしょう。軽自動車でぐるぐる廻りながら、ようやくTさんの次女S美さんらしき人が見えたので、この家だとわかりました。
お家にあがって、ニューカレドニアのこと、マリジョーのこと、ルネのことを話しました。Tさん一家にはとても親身に受け止めていただき、そのまま誘われて夕食まで御馳走になってしまいました。

翌日、小雨まじりの中、私は自分の撮影で一足早くに菊池に向かい、田んぼや川の撮影をしました。
しばらくしてテレビ局、新聞記者の方が到着。そしてT家の親族にあたる方たちが次々とお菓子や料理を持って集まってきました。そのなかには、新聞記事を見て驚いて早朝6時に兄であるTさんに電話してきた妹さんもいました。さらにお墓を見つけてくださったNさんが遠慮がちに合流されました。
予定どおり11時にMさんの車でマリジョー夫妻が到着。玄関に揃った初めて会う親族の方に歓迎ぶりに感激している様子でした。家の中に入ると今度は机に並んだ御馳走に驚いていました。それから少しずつお互いのことを話していきました。Tさんの次女S美さんが家系図をつくっておいてくださったので、人間関係がわかりやすくて助かりました。マリジョーは父親のルネのことを話そうとするのですが、感極まってなかなか言葉が出てきません。

従兄弟にあたるTさんは、寅喜さんがオーストラリアで買ってきた革靴を二足もっていたので、一足ほしいと尋ねたら、これはニューカレドニアにいる息子のためのものだからあげられないと断られたエピソードを話してくださいました。
Tさんの妹(ルネの従姉妹)は、寅喜さんが持っていたパジャマをもらい、それをワンピースに仕立てなおしてもらったとのこと。あの時代には珍しいしゃれたものだったようです。今思えば、もしかするとそれは奥さんへのプレゼントだったのかもしれません。
いろいろ話を聞いていくうちに、どうやらこの女の子(Tさんの妹)が、引き揚げてきた寅喜さんにとってもっとも心和む相手だったように思いました。
近所の方で寅喜さんが戻ってきたときのことは覚えている方も立ち寄り、寅喜さんは足を煩っていて、気の毒だったと話してくれました。

小雨の降る中、車数台に乗り分けてお墓に向かいました。立派なお墓の前に立ったマリジョーはそっとそばに生えていたヒメジョオンを摘んで供えました。
この日の様子は熊本県民テレビが約6分にまとめ、戦後70年特集番組として夕方のニュースの枠内で放映しました。

マリジョーは帰りぎわつぶやきました。あまりにも長い空白の時間の後でわかったことを、どんなふうに父に伝えようか、、、、数日後に帰国を控えて、彼女はすでに心の準備をはじめているようでした。

熊本日日新聞 2015年7月5日

熊本日日新聞 2015年7月5日